
| 1998年7月発行「San Chronicle」紙記事(マサチューセッツ州) ウスター市のアーティストとフランス人の「スマイルバッジ」を巡る争い 1966年、「ウスター火災保険」の「スマイルバッジ」の大流行が進んでいるとの報道があった。「エイビス・レンタカー」の「WE TRY HARDER」バッジ程有名ではなかったが、1966年の8月1日の報道によると、市長や教師や床屋や政治家等に3万個のバッジが広がっていた。 1963年に「ステート生命保険」のモラル向上キャンペーンの一環として創作された、この目立つ黄色いマークがウスター中につけられたと現在「アルメリカ」と呼ばれる同保険会社のスポークスマン「マイケル・バックレー(Michael Backley)」氏は語る。 従ってキャンペーンにこのデザインを提案して45ドルを受け取ったフリーのアーティストである「ハーベイ・ボール」氏が、「スマイリー・フェイス」の商標をフランス人が登録した事を知った日、彼はその日を「ナイス・デイ」とは言い難かっただろう。 55歳のフランスの実業家「フランクリン・ルフラーニ」氏は、1971年にフランスで最初にこのマークを商標登録し、現在世界の多くの国々で登録を行っている。76歳のボール氏は数ヶ月前までその事を全く知らなかった。 そしてルフラーニ氏は最近「自分が商標登録を行った80か国で『スマイリー』を使用した商品の製造や販売を行ったアメリカの会社を訴える」と発表し、その時ボール氏は心底腹を立てた。 「スマイリーは幸せを運ぶものなのに」とボール氏は憤慨した。 ボール氏がこの至る所でみられる「元気」のシンボルを1963年にデザインしてから、「ステート生命保険」が100個のバッジを作成した。1964年に発行された同社の社内報には、副社長の「ジョン・アダムズ(John Adams)」氏がそのバッジを付けている姿が見られる。 すぐに何千何万ものバッジの注文が殺到した。そして、同社はとうとう1960年代の終わりにバッジの制作を中止したとボール氏は語った。長い間、この楽しい「スマイリー・フェイス」のマークはボクサー・ショーツやロンドンのドラッグストア、「ウォル・マート」の商品、数えられない程のEメールのメッセージ等に使用されてきた。 ロンドンを拠点とした「スマイリー・ライセンシング・コーポレーション」の社長である55歳のルフラーニ氏は、1968年の学生紛争の後に前向きなストーリーに添えるデザインとして、フランスの新聞社に勤めていた時にこの楽しいマークを創作したと主張している。彼はフランスで商標登録を行ってから大金を手に入れた。 ボール氏は当時商標登録を行う事など考えもしなかった。彼は自分の創作したマークで手に入れる事が出来たかもしれない何百万ドルの利益を惜しんでいる訳ではない。そしてハッピー・フェイスの絵と「スマイリー」の文字の組み合わせの商標だけとは言え、アメリカで1件の登録商標を所有しているルフラーニ氏に対して法的な行動を起こすつもりもない。ボール氏はただ「スマイリー」の創作者として認められたいのである。 ロンドンのルフラーニ氏はこの件に対し何のコメントもしていない。 |